日本刀に興味を持たれた方は、今度は刀工(刀匠)について学んでみましょう。刀工のことをよく知るようになると、日本刀の鑑賞の仕方も変わってきます。誰が作ったのかも分からない刀を見るよりも、人物像までイメージできる人が作ったのだと知っている刀を鑑賞した方が、味わえるものは大きいはずです。
ここでは例として、何人かの刀工を挙げてみたいと思います。
1人目は、粟田口吉光です。吉光は京都で活躍した刀工で、特に短刀の制作で力を発揮しました。彼が残した作品はのちの時代の戦国武将にも愛され、例えば信長や秀吉もこぞって求めました。しかし有力な武士に愛されるということは、同時に戦火に曝される機会も多いことを意味しますから、現在残されている吉光は変容していることも少なくありません。因みに火に曝されると刀は刃文を失ってしまいます。別の刀工の手で補修されることもああり、綺麗な状態に戻った刀の一部は美術館での鑑賞に堪えるものとして重宝されます。
2人目は、新藤五国光です。彼は鎌倉時代の 刀工 で、正確無比な刀造りを得意としました。彼の作品の一部は国宝に指定されており、例えば会津新藤五が知られています。名前からも分かる通り、この刀は会津の武士に愛されました。
3人目は、正恒です。正恒は岡山で活躍した刀工で、刀工の中の 刀工 と目されていました。というのも、岡山は多くの刀工を輩出した地で、その中で抜きん出た存在になるには相応の能力が必要とされたからです。正恒の作品は非常に優雅で味わい深く、平安時代に制作された刀らしい作風を呈しています。言うまでも無く、彼の作品の一部は国宝に指定されています。
4人目は、福岡一文字吉房です。正恒と同じく岡山で技術を磨いた刀工の1人です。そもそも岡山が優れた刀を量産できたのは砂鉄が豊富に採れたためですが、吉房もその恩恵にあずかった一人でした。彼の代表作である岡田切は織田信雄が所有したとされており、今では国宝に指定されています。しかしこの岡田切はその名の通り、信雄が家臣の岡田を斬って捨てたという逸話が残されており、鑑賞するものに一瞬の戸惑いを覚えさせます。