石堂是一

石堂是一は、江戸中期の刀工。近江国の生まれで、本名は川上左近という。備前国一文字助宗の流れをくむといわれている。江戸に移住後、「江戸石堂派」と称される流派を率いた。

享保六年、江戸幕府お抱え鍛冶として出仕し、武蔵大掾を受領した。江戸時代の刀剣の格付書である「懐宝剣尺」には「良業物」と格付けされている。作風は、乱れ映りが立つ地鉄と匂出来に小沸のついた大丁子刃。鎬地は柾目肌が強く出ているのが特徴である。

以後、八代にわたり「是一」を襲名した。特に、七代是一・通称「運寿是一」は名工の誉れ高く、伊勢神宮や日光東照宮への奉納刀の作刀、徳川家の家紋「葵紋」の切添えを許された。

開国時には、アメリカに贈答する日本刀、イギリスに贈答する薙刀の作刀も拝命した。七代運寿是一の代表作は、「刀 銘 石堂運寿是一 嘉永六年八月日」