大量生産されていた軍刀

軍刀は、突撃をするときに軽騎兵が武器として使用していましたが、それ以外の使用となると、あくまで護身用の刀に留まりました。日露戦争までは、白兵と呼ばれる銃剣の突撃が最後の勝敗を決めていたそうです。そのため、突撃第一線に立っている下級将校にとっては、軍刀は必須の武器だったと言えるでしょう。必要な武器だった一方で、軍刀は将校という身分を表す大切なものでした。将校の持っている軍刀は私物であり、制式軍刀とは言われてしましたが、外装の材質などの基準を定めたものに過ぎなかったと言われています。第一次大戦を経てからは、突撃をするのが白兵から赤兵に変わりました。銃剣を使った戦いではなく、火力戦になったのです。日本の陸軍においても、実戦で軍刀の使用を廃止してはどうかという意見が出されました。しかし陸軍は物資的な戦力がかなり薄い状態だったため、軍刀を手放すことができませんでした。陸軍は精神力に頼るようになり、その象徴として軍刀は使用されていたとも言われています。象徴としての意味が強いものが、通称、九四式軍刀(外装を太刀の形にしている)と、下士官・兵用である九五式軍刀でした。その後、日中戦争やアジア・太平洋戦争を通して、軍刀は大量に生産できるよう改良されていきました。しかし軍刀の欠点である「使用に熟練を要する」「斬撃の武器とするには作りが脆弱すぎる」「整備するのに異常な手間が掛かる」などの部分を修正することはできませんでした。軍刀は、日本の陸軍が最後まで実戦の武器として使った刀です。あまり研究が進んでいない分野であり、刀剣の研究としては異端とされていますが、全体の軍事史を読み解くには非常に重要な武器であったと言えるでしょう。