日本刀は武士にとって非常に重要なアイテムだったことから、日本刀に纏わる多くの逸話が残されています。 それらの逸話は、いずれも興味を誘うものばかりです。
ここではそれらの一部をご紹介したいと思います。
織田信長と 義元左文字
例えば織田信長も所有する刀を大切にしたと伝えられています。信長が所有した刀とは「義元左文字」のことであり、立派な外観の太刀でありながら、同時に刀匠左文字の傑作でもありました。
実はこの刀は元々信長が所有していたわけではなく、宿敵今川義元の刀でした。あの桶狭間の戦いの戦利品として、信長が義元から奪い取ったものだったのです。信長にとって義元左文字は、天下統一を大きく手繰り寄せる契機となった戦いの象徴であり、非常に大切にしたと言われています。
刀が命懸けの戦いの象徴になるというところに、当時の武士の日本刀に対する思い入れが表れています。
渡米した刀剣商と一振りの刀
さて、日本刀と日本人のアイデンティティとの関係を考える上で役立つエピソードは、何も武士が活躍した時代の話に限りません。戦後のエピソードにも、日本刀の存在の大きさが窺える話があるのです。
日本刀は戦後、日本人の民族主義を瓦解させるために、GHQの策謀で日本から流出していきました。日本人にとって屈辱的な事でしたが、一部の日本人、例えば刀剣商などは諦めず、米国に渡って買い戻そうとしました。
その刀剣商の1人がある日、米国で発見した一振りに見惚れてしまい、即購入しました。錆びており、大した刀とも思えませんでしたが、何故か気になったのです。
帰国してからは、その刀について調べる日々が続きました。最初はメンテナンスから行い、柄に異常があるのを見つけました。鮫皮が見当たらず、代わりに戦地に向かう我が子に宛てた手紙が巻いてあったのです。
その手紙から送り主が判明したため、その刀剣商は早速連絡を取りました。するとその刀を持っていた息子は戦死したことが、家族の口から語られたのです。
にっかり青江
現在の滋賀県はかつて、中島という領主が支配していました。中島は自分の領地で流れている噂を耳にして以降、そのことばかり気にしていました。それは、「幽霊が出る」というものでした。
中島は備中産の名刀、青江を所有していたため、魔除けの意味も込めて青江を帯刀し、幽霊の出る場所に向かいました。すると何も見えない暗闇の中に誰かがいるのを感じました。
よく見れば子連れの女性であり、彼女は子どもを中島の傍に向かわせました。中島はその怪しい女性を幽霊だと断定し、近付いてくる子どもを斬って捨てたのです。女性も続けて斬ると、忽ち消えてしまいました。
明るくなってから確認しても親子の姿は確認できませんでした。その代り、同じ場所に建てられている墓石が分断されていました。
「にっかり」とは、この女性が「にっこり」笑ったことに由来するもので、同じような話が各地で伝えられています。つまり不自然な状況で笑う女を妖怪の化身とする話が数多く創作されているのです。
日本刀は妖怪に対して効力を発揮するアイテムとして描かれます。
姫鶴一文字
新潟を支配した上杉謙信は、ある日美しい太刀を入手しました。銘は確認できませんでしたが、立派な外観を気に入りました。
ただ長さの面で実用的とは言えず、改造することにしました。改造を担った研ぎ師は大役に緊張しつつも、十分な仕事をしていました。刀の管理も厳重で、抱いて寝る程でした。
ある日研ぎ師は夢の中で高貴な女性が何かを訴えかけてくる姿を見ました。いつもは見ないタイプの夢だったため、自分が研いでいる刀が見せたものなのかと訝しく思い、人知れず悩んでいました。
そうするうちに再び例の女性が現れ、はっきりと「切らないでください」と訴えかけてきました。研ぎ師は自分が研いでいる刀、毎晩一緒に寝ている刀が語り掛けているのだと、その時確信しました。
この刀は残存しており、重要文化財として上杉博物館に眠っています。
刀の化身が登場する話は他にもありますから、一つの類型として研究するのも悪くないでしょう。