鬼丸国綱の逸話

持つ者に仇なす刀、妖刀と呼ばれる刀がこの世には存在する。鬼丸国綱もそのような妖刀の一振といえるかもしれない。作風は刀身の反りが大きく、天下五剣の中で最も優雅で趣のある作風といえるかもしれない。

鬼丸の製作者粟田口国綱は、御番鍛冶として抜擢してくれた後鳥羽上皇に対する深い尊敬の念があった。承久の乱の結果、上皇は隠岐への配流となったが、国綱は隠岐に同道した。鎌倉幕府3代執権北条泰時の招きを固辞してうえの同道であったいう。

延応元年、上皇は隠岐の配所で崩御。国綱は泰時の招聘を受けいれ鎌倉へ入り作刀を始めた。5代執権北条時頼は、夢に出る鬼に毎夜悩まされていた。ある日、佩刀が翁に姿を変え現れた。

翁、曰く「錆にまみれ、汝の身を護り難し」早速、時頼は佩刀の錆を落とした。すると、夢に鬼は現れなくなった。以来、霊力を秘めたこの刀は、鬼丸国綱と呼ばれるようになった。